2017年3月25日土曜日

「政治をわたしのものにする」ジェンダー論

20170122 牟田和恵先生講演 

[1]個人的なことは政治的なこと「The personal is political.」


1,女性解放運動の歴史
[第一波女性解放運動]
女性の法的な権利(=参政権など)を求める運動

[第二次フェミニズム運動]
1960年代後半のウーマンリブ(女性解放運動)
Women's Liberation Movement 1960's
私的なこと、ささいに見えることこそ政治的なんだ。
→プラカードに掲げて訴える。
「抑圧された女性たちよ、夕食をつくるのやめよ」
「今日はネズミを飢えさせろ」
「人間の犠牲を終わらせろ」
「結婚するな」
※それまでは「家事は労働ではない、愛情である」と言われていた。

当時話題となった書籍「Our Bodies, Ourselves(からだ、私たち自身)」=女性の性や身体ははずかしいものという考え方にNOをつきつけた「女性の身体・性に尊厳をもつための運動」でもあった。

[2017 Women's March]
20170121に世界中で行われたWomen's Marchにつながる。
・プラカード「Our Bodies our minds our power」
・ピンクの帽子の意味:「PussyでトランプにNOをつきつける」
ピンクの帽子(猫耳)=Pussy Hat
猫="Pussy Cat"="Pussy"=女性器
※Pussy Hat Projectで検索すると作り方がでてくる。

昨年日本でも「私のアソコには呼び名がない」というプロジェクトが行われた。

2,「日本死ね」へのひどいパッシング
昨年の「保育所落ちた日本死ね」へのひどいパッシングの理由。
"日本死ね"とは「言葉がきたない」という批判があったが、それは本当の非難の理由ではない。
本当の理由は、保育園とか子どもを預けることとかは家族でどうにかすることで、政治化することはおこがましいこと。私的なことを公的な場に持ち出すなという思考。

3,「The Personal is Political」の再考
Politics / politics
大文字のポリティクスと小文字のポリティクス
「大きな政治状況 > 私的なこと」という考えが根強い。
リベラリズムの運動の中にでもある。
その意識が社会運動の中での性差別やセクハラとして生まれてくる。

小文字のポリティクス
=「自分の権利ばかり言う、程度が低い」と言われる。
=フェミニズムは嫌われやすい。

「大学闘争が終わった後、おんなたちの闘いがを持ちこたえることができたのは、おんなの運動が「戦時」の運動ではなく「平時」の運動だから」上野千鶴子


[2]ケア・フェミニズム(1990年代から)

1,依存は人間誰にでもある必然。
乳幼児・子どものとき、命を終えようとするとき、病気や障害のあるときなど、誰でも人生の少なくとも4分の1は誰かに依存している状態。
その依存をケアする側の存在も必然である。

2,近代政治学では、人が自立的存在であると考えられてきた。
つまり依存ケアがまったく無視されてきた。

T.ホッブス「万人の万人に対する闘争」
突然現れるキノコのように人と社会を想定する。

ジョン・ロールズ「正義論」
「すべての市民は生涯にわたって十分に協働しうる成員」
依存は想定の枠外におかれている。

↑依存ケア労働は女性に押しつけられてきた。

3,依存ケアが生む二次的依存
依存ケアは女性が担うことが多い。
依存ケアを担うと、派生的依存(二次的依存)に陥りがちとなる。
しかもその依存はケアの期間が終わっても一生にわたって続く。
こんな踏んだり蹴ったりの不条理がなぜ許されているのか。

この不条理は、家庭という私的な中に隠され、見えないものになっているが、離婚の時にあからさまになる。
経済的独立ができず離婚ができなかったり、離婚してもシングルマザーの多くが貧困に陥る。

子育ては、それなしには社会が再生産できない非常に公的なことにもかかわらず、家庭という私的なところにまかされていることが問題。

4,社会の真ん中と傍流
バリバリ仕事をして、いわゆる「社会の真ん中にいるひと」はケア労働をしていない。
だからこそ社会で活躍できている。
そういうひとは、日々の食事とか身の回りの世話などのケアを与えられている存在。
「社会の真ん中にいるひとたち」は、生まれたときから高齢になるまでケアのただ乗り。(ケアフリーライダー)

逆に言うと、労働市場でまっとうな労働者として受け入れられるにはケアのただ乗りをしないと生きていけないというひどい社会。

政治のなかでも、福祉や教育などは傍流と考えられている。

フェミニズム=女性の権利を守ること。
しかし、女性がみんな「社会の真ん中」に押し寄せるということではない。
世界が真ん中と傍流の二つに分かれていること自体がおかしい。
すべてのひとがあたりまえに依存ケアに関わっていけるような、その依存ケアが尊重されるような社会を目指すべき。
本来は福祉や教育なども政治のど真ん中にきていい。

このようにいままでの常識をunlearnしていくことが政治的主体であるために必要なこと。
自分にとって納得のいく社会のあり方を求めていくことが重要。


@関西市民連合シンポジウム 20170122
牟田和恵先生: 大阪大学大学院人間科学研究科教授 ジェンダー論、フェミニズムが専門

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